「灰谷健次郎と話す」1979~1981
・・・灰谷健次郎、他 (理論社)
(「1997年の読書日記」より)
澤地久枝さんや、小宮山量平さん、
八代英太さんetc…の方々との対談集。
その中で、
小宮山さんとの『「兎の眼」との出会いから』の項で、
教育について話されているくだりがあり、
“ 今ほど子供の問題(教育)が大騒になったことはない。
口を開けば、金属バットの問題から始まって、
泥棒、放火、学内暴力。
一つは社会悪の方から、
一つは狭く教育の退廃から説明する。
その中で一番抜けるのは、
子供達がどんなに悲しんでいるかという問題です。
一番成長したがっている子供の成長が抑えられている悲しみです。…略。”
小宮山さんの言葉に対して、灰谷さんは
“子供の悲しみというのは、
大人たちが悲しむより、
もっと深いんやという
子供の喜びというのは、
大人達の喜びより、
もっと深いんやという、
そういうふうに考えたならば、
僕達は子供とつながるというとき
子供の領分を侵す人間として立てるはずがない。
お互いに領分を荒らしてしまうという形では、
何も出てこないんです。”
問題が起きたとき、
司直にすぐ頼ってしまう教師、学校
学校は、教育現場ではなく、
工場と化している!?
そういう問いかけ
…悲しいけど自らの過去を振り返っても
反論ができない…ただ、
その頃(子供時代)は気付かないだけ、
子供にとって(特に小学生まで)
教師は絶対的であり、憧れであり
面と向かって(どんな仕打ちを受けても、本質的な所で)
反発出来ない人
そしてたとえ傷つけられても、
心から嫌いになったり出来ない人…
その事の重大さを教師は知っているのだろうか…。
・・・灰谷健次郎、他 (理論社)
(「1997年の読書日記」より)
澤地久枝さんや、小宮山量平さん、
八代英太さんetc…の方々との対談集。
その中で、
小宮山さんとの『「兎の眼」との出会いから』の項で、
教育について話されているくだりがあり、
“ 今ほど子供の問題(教育)が大騒になったことはない。
口を開けば、金属バットの問題から始まって、
泥棒、放火、学内暴力。
一つは社会悪の方から、
一つは狭く教育の退廃から説明する。
その中で一番抜けるのは、
子供達がどんなに悲しんでいるかという問題です。
一番成長したがっている子供の成長が抑えられている悲しみです。…略。”
小宮山さんの言葉に対して、灰谷さんは
“子供の悲しみというのは、
大人たちが悲しむより、
もっと深いんやという
子供の喜びというのは、
大人達の喜びより、
もっと深いんやという、
そういうふうに考えたならば、
僕達は子供とつながるというとき
子供の領分を侵す人間として立てるはずがない。
お互いに領分を荒らしてしまうという形では、
何も出てこないんです。”
問題が起きたとき、
司直にすぐ頼ってしまう教師、学校
学校は、教育現場ではなく、
工場と化している!?
そういう問いかけ
…悲しいけど自らの過去を振り返っても
反論ができない…ただ、
その頃(子供時代)は気付かないだけ、
子供にとって(特に小学生まで)
教師は絶対的であり、憧れであり
面と向かって(どんな仕打ちを受けても、本質的な所で)
反発出来ない人
そしてたとえ傷つけられても、
心から嫌いになったり出来ない人…
その事の重大さを教師は知っているのだろうか…。